Profile
なちゅらる宇宙人 金田慶子
Natural Uchujin Keiko Kaneda
1973年8月29日 鳥取県生まれ。
小学2年生夏まで、祝詞や神楽が響く中、舞や境内の彫刻を見て育つ。
その後は、護岸から数メートルに位置する海のそばの母の実家で、友達と磯遊びや、祖父とスポーツをしたり、漫画を描いたりしながら、高校卒業まで過ごす。
大阪の大学時代は、知的ハンディキャップを持つ子供たちと一緒に遊ぶボランティアサークル活動が楽しすぎて没頭。
1998年〜1999年夏 大阪にてイラストレーター
デザイン専門学校在学中から商業イラストレーターとして仕事をいただく。
親友の赤ちゃんの突然死をきっかけに、社会が信じられなくなり引きこもる。しばらく後、新しい生命が伸び伸びと育つことのできる社会は、自分たちで作らなければと気がつき、大阪にて環境保護活動をアートで表現する「かつどう絵本なちゅらる宇宙人」をスタート。
卒業制作は、電車内にて、ひっそりと車内吊り広告を絵本に変えるゲリラ活動器具(キャスター式)を発明。
1999年秋〜2004年春 4年半の絵描き旅
この頃から栗原友子、次に栗村友己(くりん)のアーティストネームで活動。
北海道から沖縄まで各地を4年半絵描き旅。阿蘇瀬の本ユースホステル、岡山・百姓屋敷わら(オーナー船越さんNZ滞在中)、八ヶ岳・廃材王国カナディアンファーム、北海道礼文島・桃岩荘ユースホステル、沖縄県与那国島・民宿はいどなん、北海道網走・アニマの里…などなど、個性的な場所を数ヶ月〜半年間単位で移動しながら、現地で働き、絵を描き、暮らしや自然を体感。
なお、どこにいても『かつどう絵本なちゅらる宇宙人』はプリントゴッコ持ち込みで印刷、発行、全国100名くらいのお客さんに届けていた。また、各地で壁画を依頼されたり、ライブペインティングなどの活動も。
2000年
夏、岡山市表町・ギャラリーすろおが463にて初個展「なちゅらる宇宙人展」
2002年
秋、「国民文化祭・夢フェスタ」とっとりに個人の作品展としては唯一の公式参加(なちゅらる宇宙人展その2)。保育園の子どもたちと一緒に海の絵を描いたり、ご近所さんや通りすがりの来場者と磯の絵を描いたり、全国にちらばる旅仲間を鳥取県赤碕町(現・琴浦町)に集め、ライブペインティング。当時の県知事・片山善博氏より感謝状。当時、副知事であった鳥取県知事・平井伸治氏が来場。
2004〜2014春 石垣島で店舗経営、イベント開催
沖縄県石垣島で暮らす。最初の1年間は、島の大家族の暮らし、出産、継母などを体験。家の中でナイチャー(沖縄以外の人)は自分だけ。カルチャーショックも受けつつ、八重山色に染まる。
諸事情あり、シングルマザーとなるが、周囲の皆様の支えもあり、店舗経営やイベントで多忙な日々。
2005年〜
12月より石垣市商工会の企画に採用され、3か月間のチャレンジショップブース出店にて「Tシャツアトリエなちゅらる宇宙人」開店。オリジナルTシャツ作品のほか、フェアトレード雑貨、オーガニック食品などを販売。翌年4月より、石垣市大川の赤瓦屋根の住居兼店舗にて、本格的に開業。毎月、敷地内で手作りマーケットを開催。イベントスペースでは、手描きTシャツワークショップやゲストを招いてのお話会を開催。
2008年〜
2月より、石垣島ゆいロード沿いに路面店展開。以降、毎年、島の仲間とともに環境問題を考えるフェスや講演会などを企画し開催(最大で2000名動員)。
この頃の店舗の売り上げは9坪で1000〜1600万円くらい。優秀なアルバイトさん数名に助けられながら、ちびっこ男子の子育てとなんとか両立。
島民と観光客の投票によるデザインコンテスト島Tバトルでは「石垣島のやぎ」「石垣島の花やぎ」が2年連続グランプリ。ライブペインティングなどの活動も継続。
2011年
原発避難者をサポートする団体の設立に関わる。女優・吉本多香美さんたちと安全な暮らしを考える映画上映会を開催。
小学1年生の息子と二人で個人旅行。原発のないニュージーランドを体験しに行く。
2012年
ニュージーランドの旅からインスピレーションを受け、石垣島の景勝地・川平(実はUFO伝説も残る)に引っ越し。
イベントに参加して、本当に宇宙船を見る。
「どこの星から来たとか、探る必要はない。We are all one.」の考え方に共鳴し、宇宙船とのコンタクトにはまる。(現在は陰謀論と交えて語られることが多くなり、私は離れています。普通の人の普通の暮らしを奪う権力者が救世主など、あり得ません。)
2013年
石垣島川平で「なちゅらる宇宙人+Isis」を開店。1年間の営業。
2014年〜 アーティスト
10年間暮らした島を出る。
アートを使ったオリジナルのスピリチュアルカウンセリングを提供。
オーディションを受けて、電話占いの事務所に所属していたことも。
「正解」を求めたがる人たちに、自分で感じ、道を生み出すヒントを提供。
安冨歩教授の「生きる技法」をおすすめすることが多かった。
鳥取→福岡→ロサンゼルス→東京→湘南(鎌倉・逗子)で活動。
2018年
7月 女性装の東大教授として有名な安冨歩さんの型破りな東松山市長選と、その深いメッセージ「こどもを守ろう」に感銘を受ける。
8月29日 東松山に引越し。
その後、安冨さん、音楽家の片岡祐介さんが開発している純セレブスピーカーを手伝うようになる。
※中央は、お二人が開発した純セレブスピーカー
2019年
安冨歩さんが出馬した参院選をお手伝い。
原一男監督のドキュメンタリー映画「れいわ一揆」にも登場。
映画字幕用の日本語書き起こし取りまとめも担当。
出演者、スタッフの皆さんと一緒に東京国際映画祭のレッドカーペットを歩かせてもらう。
2020〜 2021年
静岡県富士宮市に移住。
初めて畑を自分でやってみる。
楽園は自分の手でも作れるのだと実感。
2021年〜
息子の成長に合わせ、大分県別府市に移住。
湯に浸かったり、「街」や「自然」と交流しながら、絵を描く。
お問い合わせ
なちゅらる宇宙人(屋号) 金田慶子
メールはこちらをクリック
電話:090-8292-1917